11月25日に公開された未来の幸福がかかっている大切な演説の文字起こし(全文)についての説明

タイトルの動画を見たことがある方へ

大変重要な内容なので、アメーバ以前で公開した分と、ただいま文字起こしした分を合わせました。動画を見れる状況にない方への説得や、動画でも見たけど文章でも噛みしめたい、という方がいらっしゃったら、どうぞ公益のためにご活用ください。誤字・脱字があったら申し訳ございません。

 

タイトルの動画を見たことがない方へ

東京都民の皆さん、全国の皆さん、新生活様式が浸透しすべてがオンライン化された世界は地獄です。我々は分断され、オンライン上のお付き合いしかできなくなります。江戸時代に「村八分」という言葉がありましたよね。村でわがままな一家は普段は、田植えや稲刈りの際には仲間外れにするけれど、わがままな人たちでの、どうしようもなく不幸な状況に陥ったときは助けるという意味です。八分のうちは田植えや稲刈り結婚式などで、地域によって様々でしたが、二分は「火事と葬式」。火事はすべてが焼けて何もなくなる。そういうかわいそうな時は、皆で助けましょう。そしてお葬式。大切な人が亡くなるということは、正気を失うほど辛いものです。だから、普段は仲間外れにしてくなるようなわがままな一家でも、悲しみのどん底にいるときは、支えてあげようという、江戸時代の方の思いやりの故の言葉が「村八分」なのです。

正気を失くすほど辛い思いをされている方に、最初にみなで提供できる温かいカウンセリング。それがお葬式です。葬式といえば、「暗い」というイメージを持つ人がいるかもしれませんが、とてもとても大事な、古代より存在する、世界上にある、人類にとって欠かせない儀式なのです。

私は今は結婚して東京に住んでおりますが、実家は中部地方にあり、両親は葬儀社を営んでおります。実家が葬儀社ゆえ、幼いときからたくさんの葬儀の場面を見てまいりました。大学を卒業してからは秘書として東京で勤務しておりましたが、体を壊してからは一度実家の戻り、実家の葬儀社の社員として働いてまいりまいた。葬儀の場面をこの目でたくさん見てまいりました。さらにお寺に出入りして法事のお手伝いをさせて頂いた経験もあります。

葬儀にはたくさんのケースがあります。親御さんを亡くされた方、配偶者を亡くされた方、お子様を亡くされた方、ご友人を亡くされたかた・・・・

ご高齢の親御さんをなくされた方は、悲しみのどん底に陥りますが「まあ、寿命だし」と、お年の方から先にお浄土へ召されるということは自然の摂理として理解されているようで、悲しいご様子ですが、立ち直るのも、まあ時間の問題です。

悲しみからなかなか立ち直りにくいのは、お子様を亡くされた方です。特にお腹にいたときから一心同体で、大切に大切に慈しみ育ててきた我が子を亡くされた母親のお方の悲しみは、お話を聞くと、心が切り裂かれるように痛みます。

また配偶者を亡くされた方も、「配偶者を亡くすということは片腕を急に切り取られるようなものだ」という言葉がありますが、本当にその通りです。

配偶者様が、長年ご病気で徐々にお別れを覚悟されていた方は、確かに悲しみは深いものですが、まあ心の準備はできていたので、ある意味冷静な姿もみられました。正気を失うほど悲しみに狂う方は、突然、交通事故や突発的な病気で、あっという間に配偶者をお別れをされた方です。

普段はご主人の悪口をくそみそに言われていた奥様、「もっともっと優しい言葉をかけるんだった。もっと笑顔でせっすればよかった。どうしてどうして、私を先においてしまったの」と嘆き悲しむ様子には胸が痛みました。普段「亭主元気で留守がいい」という態度の方ほど、ご主人を亡くされてからの嘆き悲しみはひどいものでした。

けれど、女性はまあ、家事ができる方がほとんどなので、平均的には奥様に先立たれた男性よりも、長生きし、趣味やお友達付き合いなど、たくましい老後を過ごす方がみられます。私は実家が葬儀社ですが、すぐ近所にお寺があり、そこの娘さんとは同い年で姉妹のように仲良く育ちました。毎日のようにお寺に出入りさせて頂きました。お寺の行事にもよく参加させていただきました。婦人会という会がありその会のメンバーは主に、ご主人をされたことをきっかけに月に一度や二度、お寺に通うようになった方々です。最初は悲しみ故のご縁でしたが、いつの間にかお寺でお友達ができ、月に一度、清掃のボランティアや草抜き、行事の料理作りなど、みな活き活きと交流されている、大変温かい場所でした。私は幼馴染のお寺の娘の彼女が勿論大好きでしたが、お寺という場所も大好きで、よく遊びにいっていました。実家を継いだ幼馴染によれば、2月からのコロナ自粛で、今まで檀家さんが楽しみにしていた行事を中止したり、実行してもお料理をつくることをやめたり、お茶出しをペットボトルに変えたり、皆でお経を唱える場面を、声出しクラスターを恐れてマスク越しに小声というお願いを出したり、全国からやっくる布教師さんに、お説法の際はフェイスシールドをお願したり、お墓参りは三密を避けるために少人数でとお願いしたりと、檀家さんに申し訳ないお願いをしているそうです。彼女はネットを通じてコロナ騒動はでっち上げの茶番だとわかっているようですが、親御さんや檀家さん、ご近所のかたが、皆メディアに騙されて、本気でコロナを怖がり、必死に感染症対策を行っている様子は、彼女も胸を痛めています。彼女はどんなに説得しても聞いてくれないそうです。彼女から電話で話を聞く私も聞いていて胸が苦しくなります。

すみません、話がそれてしまいました。配偶者を亡くすということに関してです。ご主人を亡くされた奥様より、奥様を突然亡くされたご主人の悲しみのご様子は、見ているこちらももらい泣きするほどです。どんなに奥様に横柄な態度をとってこられた方も、どんなに普段は冷静なお方も、突然奥様を亡くされた方は、別人のように豹変します。絶対に普段涙を見せない方も、ボロボロに泣き崩れます。「そこまで泣くんなら生前中からもっと奥様のこと大事にすればよかったのに」ということを言われる方に限って、心残りがあるからでしょうか、ずっとずっと奥様のお名前をつぶやきながら、葬儀の最前列の真ん中の場所で涙を流し続けます。

もちろん、ごきょうだい、ご親族、ご友人を亡くされたかたの悲しみは深いものです。ですが葬儀社に務めた身としては、悲しみから立ち直るのに最も回りの助けが必要、と感じられたケースが、お子様を亡くされた女性と、配偶者を亡くされた男性、という認識をしております。

人が亡くなるは大変悲しいことですが、諸行無常諸法無我といいましょうか、ある意味では仕方のないことです。小さいお子様を突然亡くされた方は「なぜ?納得できない」とお思いになるでしょう。私自身ももし我が子を突然亡くしたら「なぜ私がこんな目に合わなければいけないの?納得できない」と運命に対して怒り狂うでしょう。しかし、肝心なのは、残された方が、いかに現実をみつめ、いかに立ち直っていくかが問題なのではと思うのです。たくさんの葬儀や法事で人日のご様子をみて思うこの頃です。

残された方は「悲しみの中に引きこもりたい。そっとしておいてくれ」という思いを持つことがあります。それが喪中です。大切な人が亡くされた方が、結婚式やお正月という華やかなお祝いの場に身をおきたくない、というのは当然の心理です。お祝い事をお断りするのは、つまらないことではなく、悲しみのどん底にいる人が自分を守るための権利なのです。

しかし、悲しみのどん底にいるときは、やはり人は人に来てほしいもの。普段は憎まれ口ばかりきく家族や、嫌みを言いあう中の悪いご近所の方でも、お葬式という気が狂いそうなくらい辛いときに、気の利いた言葉はでなくても、そばに来てもらえるだけで、「一人じゃないんだ」と思うことができ、安心するのが人間の心理です。「俺は強いから、そんなのへっちゃら」という人でも、お葬儀に遠くからでも、親族や友人が駆け付けたくらた時は涙を流していいます「ありがとう。そばに来てくれて」私はそういう場面を見るたびに、確かに葬儀にはお金がかかるので、お香典を郵送していただくこともありがたいことではあるけれど、実際にリアルにお葬儀の場面に人に来てもらって密になって悲しみのどん底にいる人を支えるということは、本当に大切なことだなぁ、とお葬儀の度に実感いたしておりました。お葬儀というと暗い、めんどくさい、というイメージを持つ方がいらっしゃるかもしれませんし、人の悲しみを軸とする儀式ではございますが、人の心の温かさに触れることのできる、人間っていいな、と再確認できる、ある意味では素晴らしい儀式であると思っております。

その葬式という文化が、今、破壊されようとしています。あちこちの葬儀社が、感染症対策として、葬儀のオンライン化を進めております。私の実家は中部の田舎ゆえ、まだお葬儀のオンライン化は実行されておりません。しかし東京でできた友人はいいます。「この前、母が亡くなってお葬式があったの。コロナ対策で、家族のみだった。寂しかったな。父さんは、北海道に住む弟にも絶対きてほしかったのに、弟も父さんもコロナに怯えて、弟が来ないことにしたの。実の母親なのにね。私がどんなに、コロナが茶番だよって言っても二人とも聞かなくってさ、いやになっちゃうよ。父さんはね、もっと自分の兄弟や親族や友人に来てほしかったんだけど、三密を避けるために、少人数しか呼ばなかったの。悲しそうだったな。去年のおじさんの葬儀の時はたくさんの親族と友人・知人が集まって、おじさんお思い出話でみんなで盛り上げって、葬儀の後をちょくちょくおばさんのうちに皆でいってたから、まあ、おばさんは救われたんじゃないかな。けど父さん、かわいそうだよ。おばんさんと違って、みんなコロナ怖がってなかなか来てくれないもん。生前中はあんなに母さんと仲良かった友人たちも。合唱サークルの人たちだから、よけいに声出しクラスター、怖がってんのかな。しかも葬儀では、オンラインで参列した人もいたんだけどさ、なんか、逆にさみしかったよ。気持ちがあるなら、来てよ。コロナなんて嘘なんだからさ。みんな気づいてよ。父さん言ってたよ。パソコンの画面で人の顔見るよりも、そばにいてほしい。だれでもいいからそばにいてほしいって。私も自分の子育てあるから、毎日は行けないけど、父さんの落ち込みよう、ひどいよ。パソコン上でお悔やみのメッセージくれる人もいるみたいだけど、やっぱ温もりが欲しいのかな?犬飼おうかな?って言ってんの。うーん、父さんの気持ちはわかるけど、父さんの寿命と体調考えたらちょっとキツイかも。けど、アイボは冷たいしロボットだから嫌なんだって。わかるよその気持ち。犬、飼って世話できなくなったら、次の飼い主探すの手伝ってくれない?話それたけどさ、葬儀社の人と話たら、これから、どんどんどんどん葬儀のオンライン化って進むらしいよ。最初はオンライン化の葬儀って、時代を先取りしてて便利でチョッとかっこいいかな、なんて思ったけどさ、やっぱ昔ながらのお葬式のほうがいいな、私は」友人は泣いていました。

この友人の話を聞いたときの私の胸は、悲しみと怒りと情けなさでいっぱいでした。どうしてどうして、葬儀という古代より世界中で大切にされていた人の温もりあふれる儀式を、密になって集まることができないのでしょうか?!どうしてどうして、集まろうと思えば集まれるのに、パソコン上で対面しなければならないのでしょうか?!どうして彼女の父親は、近しい人間に手を握ってほしかったろうに、肩を抱いてほしかったろうに、直接人とお話したかったろうに!!!どうしてどうしてどうして!!!この怒り、悲しみ、情けなさ。幼馴染のお寺の娘にぶちまけると、彼女も同じ思いを抱えていたようで、二人で電話越しに、大泣きしました。

幼馴染はいいます。「「オンラインの先に幸福はない」って、毎週渋谷で、コロナ詐欺を糾弾する弁士が言ってたけど、幸せがない、どころの話ではない。地獄だよ地獄。人が人に直接あって悲しみのどん底から這い上がれない人ばかりになってしまえば、この世は地獄になるよ」と。この言葉を聞いてぞっとしました。そんな地獄な未来、子供たちに残したくない!なんとしてでも防がねば!!!

けれど私は現地で実際に行動を起こすことができません。お恥ずかしい限りです。私の主人は公務員をしており、感染症対策と称してオンライン化を進める立場におります。このブログもTwitterも主人には内緒です。書いてあることのほとんどが真実ではありますが、地域のみフェイクを入れました。ご了承ください。本当は私も渋谷のデモに参加して、葬儀のオンライン化による地獄を阻止するためにコロナ詐欺を糾弾したいのですが、立場上できません。申し訳ない気持ちでいっぱいですが、せめて、主人に内緒のご支援とブログの更新と文字起こしや都議にお手紙を出すことで、新生活様式反対運動に参加させてください。これが今の私のできる精いっぱいです。

既に行動を起こされている方、これから行動を起こされている方の、行動が実を結び、PCR検査強行条例が否決されることを心より願っております。

長文お読みいただきありがとうございました。頻繁に更新はできませんが、また更新したらお知らせいたしますので、よろしくお願いいたします。